黒田 重太郎

作家名(ヨミ)クロダ ジュウタロウ
作家名(英語)KURODA Jutaro
作家名(原表記)
生年月日(西暦)1887
生年月日(和暦)明治20年
没年月日(西暦)1970
没年月日(和暦)昭和45年

略歴・解説

【令和5年度第2回収集審査部会資料 作家解説文】
《プチット・ボエミエンヌ》 1919(大正8)年 1点 油彩、カンヴァス 58.5×42.2cm
年記:なし 署名:「J.Kuroda」 
来歴:寄贈予定者の実家に伝わる 
出展歴:「第6回二科展」1919年

 1887年大阪船場の近江商人「秩父屋」の分家の長男として滋賀県に生まれる。家業のため商売の道に入るが絵の道を諦められず、1904(明治37)年に京都の鹿子木孟郎に入門。やがて浅井忠にも師事し、関西美術院で学ぶ。2度の渡仏では、パリのアカデミー・コラロッシなどで学んだ。帰国後は二科展などで活躍。1947(昭和22)年より京都市立美術専門学校(現・京都市立芸術大学)教授。滋賀県出身の画家として重要な存在であり、当館ではすでに17件の黒田作品を収蔵している(令和5年4月現在)。
 「プチット・ボエミエンヌ」はフランス語の「Petite bohemienne(可愛いボヘミアの少女)」の意か。目を閉じ、膝を抱えるポーズの少女を描く寄贈候補作品は、「第6回二科展」(1919年)出品作として展覧会絵葉書によって存在が知られていたものの(※1)、長年行方不明になっていた。寄贈予定者の両親が亡くなった後、実家の整理中に発見されたとのこと。本作の来歴については、戦後すぐ、寄贈予定者の実父が神戸に居住していた時期があった。その頃、黒田の親族に金銭を用立てたところ、謝礼として本作を贈られたということだった(寄贈予定者が実父から聞いたところによる)。
 当館では2005(平成17)年に「没後35年 黒田重太郎展」を開催するなど、滋賀県出身の画家として作品の研究、紹介に取り組んでいる。展覧会出品作である本作の収蔵により、さらなる研究の進展と常設展示、企画展示の充実が期待される。
(担当:山口真有香)

(※1)「参考作品」『没後35年 黒田重太郎展』滋賀県立近代美術館 2005年

この作家の作品一覧[全15件]

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