木村 武山

作家名(ヨミ)キムラ ブザン
作家名(英語)KIMURA Buzan
作家名(原表記)
生年月日(西暦)1876
生年月日(和暦)明治9
没年月日(西暦)1942
没年月日(和暦)昭和17

略歴・解説

《南瓜》 1912(大正元)年頃 1幅 絹本著色 118.3×40.9cm
年記:なし
【令和5年度第2回収集審査部会資料 作家解説文】

署名:落款「武山」 印章:朱文円印「信太」
来歴:不明 
出展歴:不明
箱:共箱「武山」、朱文方印「武山」

1876(明治9)年笠間藩士の長男として、現在の茨城県笠間市に生まれる。父親は笠間銀行を設立し頭取となった実業家だった。川端玉章の画塾で学び、1891(明治24)年に東京美術学校へ入学、助教授下村観山から影響を受ける。1896(明治29)年同校研究科へ進学、中尊寺金色堂修復に助手として参加。1898(明治31)年に創立された日本美術院で中心的に活躍をし、1906(明治39)年に日本美術院が五浦へ移転した際も同行。《阿坊劫火》《祇王祇女》などの代表作が制作されたのはこの頃である。1914(大正3)年日本美術院を再興し、経営者、評議員、同人を兼ねる。初期は歴史画を、明治後半より花鳥画を描き、大正初期は琳派に感化された装飾的作風を特徴とした。優れた色彩感覚を持ったカラリストとして知られる。1937(昭和12)年に脳内出血して以降は左手で絵筆を執り「左武山」と称される。
寄託候補作は、畑に植えられたひとつの南瓜を描く。実りの時期を迎え、空には蜻蛉が飛んで行く。南瓜の葉や蔓は枯れ、無造作に実が転がるだけの情景である。しかしながら蔓を巻きつける竹竿、南瓜の凹凸や葉の葉脈は執拗に追求され、その写実的な描写は神秘的な雰囲気さえ醸し出す。たらし込みによる琳派らしい表現を多用しつつ、それによって南瓜が乾いて白い粉を吹く様子が秀逸に再現されている。写実と装飾の融合という武山が花鳥画において試みたことが表れている。大正年間前半の作品に使用例のある「信太」印(本名、信太郎にちなんだ)と作風より、大正初期の作品と考える。
(担当:田野葉月)

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