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蛇の目傘

フリガナジャノメガサ
員数1 点
大分類民俗
中分類
時代昭和
公開解説傘は最初は笠に長柄をつけたもので「さし傘」ともいい、唐から渡来したので「唐傘(カラカサ)」ともいいます。傘の祖形は欽明天皇13(552)年に百済から渡来した幡蓋(ハタギヌガサ)で、平安時代には長柄の蓋が考案され、貴族や僧侶などがこれを用いました。「からかさ」の名称は『枕草子』や『宇津保物語』にも見えます。鎌倉時代には朱を塗った朱塗傘ができ、公家や僧侶が使用しましたが、これは開閉できないものでした。開閉可能な傘は文禄3年(1594)頃、堺の商人納屋左衛門がルソンから持ち帰り、豊臣秀吉に献上したのが始まりといわれます。江戸時代になると紙や竹細工の進歩とともに様々な形の傘が考案され、柄も短く持ちやすくなり、一般に普及しました。蛇の目傘は元禄年間(1688~1703)から、番傘は正徳年間(1711~15)から作られるようになりましたが、蛇の目傘は番傘より全体的に細く作られ、骨に彩色するなど装飾性に富み、もっぱら女性用とされました。

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