毎日新聞 昭和27年12月8日
鹿地亘事件
よみがな | シカジワタルジケン |
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解説 | 日中戦争のさなか、中国で抗日運動にも従ったプロレタリア文学者の鹿地亘が、神奈川県藤沢市で米軍諜報機関(キャノン機関)に拉致されたのは昭和26(1951)年11月のことだった。鹿地はおよそ1年間にわたってキャノン機関に監禁されたが、彼に同情した米軍下働きの日本人青年の通報によって解放された。 この事件は日本の国会でもとりあげられた。ところが、釈放された鹿地は、実はソ連のスパイだという人物が現れて、事件は混迷してゆく。この証言を行なった三橋正雄は、ソ連抑留中に同国のスパイ教育を受け、帰国すると米軍にも通じたダブルスパイであった。三橋によれば鹿地はソ連のスパイであり、三橋はソ連情報機関の指令で、鹿地とレポ(連絡)を行なっていたという。 鹿地と三橋の証言は食い違う。ついに両者は国会に証人喚問され、議会で対決した。また、鹿地が監禁中に書かされたソ連スパイだという自供書も世に流出し、鹿地は電波法違反で起訴されたが、結局無罪が確定した。これが表面にあらわれた事件の概要である。 しかし、この事件の本当の主役は、米ソの二重スパイだった三橋正雄なのではないか。三橋がレポを行なっていた相手は、プロレタリア文学者の鹿地などではなく、国際政治の枢要部にいる人物ではなかったか。米軍はその秘密を守るため、三橋のレポ相手を鹿地亘にスリ替えたのではないだろうか ──。 著者の推理はそう結ばれている。 |
作品名 | 日本の黒い霧 |