朝日新聞 昭和23年1月27日
帝銀事件の謎
よみがな | テイギンジケンノナゾ |
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解説 | 昭和23(1948)年1月26日、東京豊島区の帝国銀行椎名町支店で発生した強盗殺人事件は、犯罪史上に残る事件であった。いわゆる「帝銀事件」である。 毒物を使った手口の大胆不敵さ、狡知きわまる犯行計画、死者12名、被害総額18万円余という悪辣さ。なにより、逮捕された画家平沢貞通が、真犯人だったかどうか。昭和30(1955)年に裁判で死刑が確定した平沢が、ついに刑を執行されないまま、昭和62(1987)年に95歳で獄死した後も、事件は多くの謎につつまれている。 平沢の冤罪を推察させる大きな原因は、平沢犯人説に傾くまでに、警察当局に不可解な捜査方針の変更があったことである。警察は当初、犯人が毒物に対するきわめて専門的な知識と経験をもっていることから、中国大陸で細菌戦の研究を担当した旧七三一部隊関係者や、謀略戦を研究していた陸軍第九技術研究所の関係者たちに注目していた。彼らは戦後、研究者として大学に戻り、あるいは民間の医療や防疫、製薬会社に就職していた。 部下たちが戦争犯罪人としてソ連側に逮捕され、裁判にかけられているにもかかわらず、七三一部隊の指導者・石井四郎元軍医中将らの主要メンバーは、帰国後も米軍側から戦犯として追及を受けることなく、占領下の時代に生きていた。GHQの権力をもってすれば彼らの追及は容易なことだ。だがそれが行なわれなかったのは、細菌や毒物に関する彼らの研究を、来るべき次の戦争に利用しようとしたからではなかったか。 事実、事件から2年後、朝鮮半島で新たな戦火が起きたのである。 |
作品名 | 日本の黒い霧 |