朝日新聞 昭和28年2月28日

征服者とダイヤモンド

よみがなセイフクシャトダイヤモンド
解説 敗戦によって占領軍が駐留して間もない昭和20(1945)年9月30日、GHQ経済科学局のキャップであったクレーマー大佐は、装甲車に三十数名の武装兵士を乗せて日本銀行へやってきた。名目は日銀への監察であった。しかし、日曜日の夜8時である。大佐は日銀職員を立ち会わせずに、休日の夜中に大金庫の内部を″監察″しようとしたのである。不自然きわまりない行動であった。……結局、この夜は各室の鍵を開けることができず、監察は翌日に改められた。
 それから11年後の昭和31(1956)年5月、占領下の日本で隠匿ダイヤの摘発に力を揮った隠退蔵物資等処理委員会の元委員が、奇怪な死を遂げた。昭和34(1959)年9月には、サンフランシスコ空港で、日本人スチュワーデスが大量のダイヤを密輸入しようとして摘発された。宝石の出所は、″東京租界″といわれる暗黒街だった。
 これらの一見バラバラに思える事件を追ってゆくと、やがて一本の線につながってゆく。太平洋戦争末期、国は工業用ダイヤの不足から国民に宝石を供出させ、安く買い上げる政策を取った。そのダイヤは、日銀本店に集められたはずだった。クレーマー大佐が″監察″の名目で接収しようとしたのは、これらの財宝に他ならない。
 ところが、実は集められたダイヤのすべてが日銀本店に保管されていたわけではなかった。行方不明のまま隠退蔵されたダイヤは、大量にあったと思われる。その幻の宝石が原資という″M資金″などの存在がまことしやかに囁かれ、その資金をめぐる謀略は、後のロッキード事件にまで尾を引いているのである。
作品名日本の黒い霧

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