毎日新聞 昭和24年2月11日

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革命を売る男・伊藤律

よみがなカクメイヲウルオトコ・イトウリツ
解説 平成元(1989)年8月7日、謎につつまれた数奇な生涯を送った伊藤律が他界した。松本清張に「革命を売る男」と評され、ゾルゲ事件で処刑された尾崎秀実の異母弟・尾崎秀樹に「生きているユダ」と指弾された伊藤の実人生は、現在でも不明な部分が多い。
 伊藤は、昭和30(1955)年7月、第六回全国協議会(六全協)で日本共産党を除名された。党の発表によれば、伊藤は共産青年同盟の事務局長を務めていた旧制第一高等学校生のとき警察に検挙され、特高に仲間と組織を売って釈放されたという。しかし最大の裏切り行為は、昭和14(1939)年、ふたたび特高に検挙された際、ゾルゲ事件の端緒となった北林トモを当局に売ったこととされる。
 ゾルゲ事件こそは、現代史の最大の謎のひとつである。新聞の特派員として来日したゾルゲは、ドイツ大使館の私設情報担当として同大使館や近衛文麿首相側近の信頼を得て、軍事機密や高度な政治情報を入手してはソ連へ通報していた。その諜報活動は、たんなるスパイというにとどまらず、国際情勢の分析、なかんずく日ソ間の戦争の可能性や回避の方法をも探っていた。
 伊藤は、戦後日本共産党に復党。徳田球一の信任を得て党中央委員、政治局員となった。ここからまた、伊藤の共産党に対する陰謀や攪乱工作が再開されたといわれる。
 党中央の幹部が組織や仲間を売っていたとすれば、戦前の日本共産党で暗躍した「スパイM」にも匹敵すべき大物といわねばならない。だが、組織として多くの経験を積んだ共産党を攪乱するためには、彼ひとりの力では十分でなかったはずだ。伊藤の背後には、当時の日本を支配し、共産勢力の排除を狙ったGHQ、とりわけ諜報治安を担当したG2(参謀部第二部・作戦部)が存在したと考えるのが自然ではないか。
作品名日本の黒い霧

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