毎日新聞 昭和27年1月22日

白鳥事件

よみがなシラトリジケン
解説 昭和27(1952)年1月21日夜、札幌市中央警察署の白鳥一雄警部が何者かにピストルで撃たれて死亡した。白鳥は警備課長の職にあり、日本共産党を調査の対象にしていた。前年、共産党は、後に「極左冒険主義」として自己批判した「軍事闘争」方針を採択し、共産党員による不穏な事件が続発しており、白鳥は次々に党員を検挙して投獄していた。党員たちによって弾圧の元凶のように目された白鳥は尾行されたり、数百通にもおよぶ脅迫状を送られたりしていた。こういう情況の中で、白鳥は殺害されたのである。
 捜査は難航したが、警察は実行犯として共産党員のポンプ職人を指名手配し、共犯として党の札幌地区委員長を逮捕した。委員長は一貫して無実を主張したが、一審で無期懲役、二審で懲役20年の判決が下された。最高裁は上告棄却、再審請求も退けられた。実行犯とされたポンプ職人は、現在にいたるも行方が分からない。
 実行犯が逮捕されなかったうえ、物証に乏しいこの事件には、謎が多い。時代は占領期の末期で、札幌地区にも米軍情報機関の下部組織が暗躍し、警備公安担当の警察官とも微妙な利害関係にあった。白鳥事件を契機として、北海道で最強を誇っていた札幌の共産党地下組織は壊滅した。事件を演出した者の真の意図は、ここにあったのではなかろうか。
作品名日本の黒い霧

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