風間 完 画
二・二六事件(3)決行
よみがな | ニ・ニロクジケン(3)ケッコウ |
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解説 | 雪は2月23日の明け方から降りはじめた。この日は大雪で、夜には34センチまで積もり、26日にまた降りはじめた。 昭和11(1936)年2月26日未明、陸軍の歩兵第一連隊、歩兵第三連隊を中心とした皇道派青年将校たちは、「演習」の名目で下士官・兵約1400名を率いて、岡田啓介首相、斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、鈴木貫太郎侍従長、渡辺錠太郎教育総監、牧野伸顕前内大臣らを襲撃。斎藤、高橋、渡辺が殺害された。 安藤輝三は、六中隊204 名をもって午前5時、東京麹町区にある鈴木貫太郎侍従長官邸を襲撃した。軍靴のまま奥の日本間に押し入り、寝衣姿の鈴木を発見した兵士2人が、拳銃を3発発射した。鈴木はその場に血まみれになって倒れた。部隊と姓名を名乗った安藤が「まだ脈がある。武士の掟により閣下にとどめを……」と軍刀に手をかけたとき、傍らに正座していた夫人が初めて口を開き「それだけは私に任せて下さい」と制止した。安藤は兵とともに1分間の黙祷を捧げ、引き上げた。一命をとりとめた鈴木は9年後に終戦内閣を組閣し、ぎりぎりの地点で戦争を終結させることになる。 26日午前5時、陸軍大臣官邸を襲った部隊は時の陸相川島義之に面会を求め、自分たちを「義軍」と認めさせ、皇道派の要求を呑ませようとした。陸相を手中にすれば事は半ば成功したも同然だ。しかし、宮中に参内していた川島は、何も確言しなかった。皇道派に有利かと思われていた情況は、急速に暗転していった。 昭和天皇は、当初から青年将校たちの行動を赦さなかった。彼らの行動は、近代天皇制そのものを否定する行為に他ならなかったからだ。2月29日にクーデター鎮圧が決定され、その日の朝、ラジオから投降勧告「兵に告ぐ」が放送され、ビラが撒かれた。彼らは天皇に対する「逆賊」となったのだ。 兵たちの原隊帰順が始まったが、安藤だけは投降を潔しとしなかった。山王ホテル前に兵士たちを整列させて、一同に原隊帰順を命じる。安藤は自決を覚悟している。兵たちも安藤に殉じようとしている。中隊歌「吾等の六中隊」の合唱がわき起こる中、安藤は手にした拳銃で自分の喉を撃ち抜いた。倒れた安藤の顔に中隊旗がかけられる。旗は血で真っ赤に染まった。安藤は陸軍病院に運ばれ、4日間にわたった青年将校たちの「叛乱」は終わった。(「昭和史発掘」7) |
作品名 | 昭和史発掘 |