風間 完 画
陸軍士官学校事件
よみがな | リクグンシカンガッコウジケン |
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解説 | 陸軍士官学校事件(「士官学校事件」「十一月二十日事件」とも呼ばれる)は、複雑怪奇な事件であり、今日になってもその真相は判然としない。 昭和9(1934)年11月20日、皇道派の青年将校が、五・一五事件同様のクーデターを計画しているとして、陸軍士官学校の生徒らとともに憲兵隊に逮捕された。しかし青年将校側は、事件は陸士本科中隊長の辻政信が士官学校の生徒のひとりをスパイに仕立ててあやつり、デッチあげた冤罪だと主張。軍法会議ではけっきょく、証拠不十分で不起訴処分となった。 事件の真相もさることながら、より重要なのはこの事件の背景で、陸軍内の皇道派と統制派の角逐がその最たるものであった。反目の原因は両者の理念の違いというより、むしろ軍内部での地位の差にあった。端的にいえば、陸士を出ただけの現場をあずかる将校(隊付将校)と、陸軍大学校卒のエリート将校との反目だ。陸大卒の将校に与えられる天保銭型の徽章は、その輝かしさの象徴である。 隊付将校の出世には初めから限界があるが、彼らを指揮する天保銭組には大将になる道も開かれており、自然に隊付将校組を下に見る風潮が生まれた。今の官僚機構にも見られる対立の構造である。 そのことへの反感が皇道思想とからみあい、皇道派の陸軍上層部の思惑と結びついて、国家改造をめざすクーデター計画へと発展してゆく。二・二六事件は、この延長線上に発生した。 (「昭和史発掘」6) |
作品名 | 昭和史発掘 |