風間 完 画

「桜会」の野望

よみがな「サクラカイ」ノヤボウ
解説 昭和4(1929)年、張作霖爆殺事件の処理を昭和天皇にとがめられ、田中義一内閣は総辞職した。あとをうけた浜口雄幸の民政党内閣は、金の輸出解禁とデフレ政策を実施したが、これはやがて日本を破滅へと向かわせる大失政だった。翌5年には農村の窮乏がひどくなり、不況のため企業倒産と失業者は日を追って増大した。失業者たちは汽車賃もなく、徒歩で帰郷した。
 こうした社会情況の中、軍の実戦部隊である農村出身の兵士たちが軍務に専念できないことを憂えた陸軍革新派将校の間に、国家改造を図る気運が盛り上がってきた。その初期の運動が、昭和5年に参謀本部ロシア班長橋本欣五郎を中心に設立された「桜会」である。橋本らは、政党政治では日本の改革はできないとし、短期決戦の武力クーデターを計画。翌6年3月および10月に武力による政権奪取を試みたが、いずれも実行直前に計画が漏れ、未遂に終わった。いわゆる「三月事件」「十月事件」である。
 実行はされなかったが、クーデター計画は大きな禍根を残した。陸軍上層部は橋本らに対し、何ら厳しい処分をとれなかったのである。このことは革新派将校たちを増長させ、「下剋上」の潮流を生むことになった。一方、陸軍上層部にもこれらの血気盛んな若手将校たちのクーデター計画を利用して、自らの栄達を図ろうとするオポチュニストたちがいた。この流れがやがて満洲事変、五・一五事件、二・二六事件へと日本をつき進ませてゆくのである。
(「昭和史発掘」4)
作品名昭和史発掘

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