風間 完 画

三・一五共産党検挙

よみがなサン・イチゴキョウサントウケンキョ
解説 昭和2(1927)年8月半ばの午下がり、警視庁特高課労働係の一室で電話のベルが鳴った。電話を取ったのは、後に「特高警察の至宝」といわれた毛利基警部である。電話は「最近、東北地方の子供の出来る温泉で重要会議があったという噂があるが、知っていますか?」とだけ言うと、切れてしまった。これが、公安当局の語る三・一五共産党大検挙事件の発端である。
 確かに大正15年12月、子供が授かると伝えられる山形県の五色温泉で、電池会社の忘年会と称して、日本共産党の創立総会が開催されていた。大正11年7月、コミンテルンの援助のもとに結成された日本共産党は、翌年6月の大検挙や関東大震災によって大打撃を受け、再建の途上にあった。五色温泉の総会はそれを受けてのことである。
 しかし、先のエピソードの真偽のほどは疑わしい。毛利警部は、日本共産党中央委員にして党を壊滅の危機にまで追いこんだ稀代のスパイ″M″を操っていた。内通者が、以前から特高警察に情報を提供していた可能性も十分に考えられるのである。
 組織の未熟さと党内部のスパイによる情報漏洩のため、ようやく育ちつつあった党は、昭和3年3月15日と、翌4年4月16日の大検挙を受けて根こそぎにされてしまう。戦前の社会主義運動は、治安当局による苛烈な弾圧と、内部における権力闘争、そして特高警察との熾烈な情報戦の歴史でもあった。
(「昭和史発掘」2)
作品名昭和史発掘

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