風間 完 画
石田検事の怪死
よみがな | イシダケンジノカイシ |
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解説 | 政友会総裁田中義一の陸軍機密費問題〔同項参照〕や松島遊廓事件、そして朴烈大逆事件〔同項参照〕で世情が騒然としていた一九二六(大正十五)年十月三十日の払暁、東海道線大森・蒲田駅中間の小川にかかる鉄橋の下から、四十代半ばの男の死体が保線工夫によって発見された。一報を聞いて現場に駆けつけた大森署の司法主任が死体の名刺を調べると、「東京地方裁判所検事局次席検事石田基」の名が記されていた。翌日の各紙がこの事件をトップで報道し、事故か殺害か、石田検事の死は満天下の注視を浴びることになった。石田検事は陸軍機密費疑惑の捜査ばかりでなく、大阪の松島遊廓移転をめぐる政治家の贈収賄事件や朴烈怪写真事件をも担当していたからである。どれもが大きな政治問題であった。陸軍機密費問題は、政友会と軍部に対する大打撃になりかねず、後の二つは、時の若槻内閣の命とりに発展しそうな形勢にあった。 警察と検事局は死体発見早々から事故死と主張したが、他殺の疑いを捨てなかった四人の検事の捜査によって、事故死とは考えられない状況証拠が次々と浮かび上がってきた。ひとつひとつの物証や証言をつなぎ合わせてゆくとき、軍部の手先となった憲兵か、政友会の命を受けた暴力団が石田検事の命を奪ったとの推定が成り立つのである。石田検事は「政治」に殺された。その謀殺は、一九四九(昭和二十四)年の下山事件〔同項参照〕と酷似しているといえよう。 |
作品名 | 昭和史発掘 |