風間 完 画

陸軍機密費問題

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解説 大正14(1925)年、陸軍大将・男爵田中義一は、予備役を願い出て政友会総裁に就任するにあたって、持参金″として三百万円の政治資金を用意した。いくら陸軍大臣経験者でも、軍人である田中が自己資金を三百万円も用意できるはずがない。その原資金は何かということに、人々の関心が集まった。             
 反田中派の退役将官たちの団体「恢弘会」(かいこうかい)が資金の出所に興味をもち、調査をはじめた。田中や元陸軍大臣・山梨半造などの陸軍主流派に対抗する現役将官たちもこれに呼応し、やがて田中が陸軍の機密費を着服したのではないかという疑惑が浮かび上がった。                      
反田中派の軍人たちは元陸軍省大臣官房主計の三瓶(さんべ)俊治をたきつけて、大正15(1926)年3月、田中義一と山梨半造を背任横領で刑事告発。これと時を同じくして憲政会の反逆児・中野正剛が衆議院本会議で、その出所はシベリア出兵前後の陸軍機密費の一部であると演説し、田中の陸軍機密費横領疑惑は政界と世論の批判を呼んだ。
 ところが、三瓶の告発を受けて捜査にあたった東京地検の主任検事・石田基は同年10月、謎の死を遂げる。告発した三瓶も事件を重視した反対方面からの圧力で告発を取り下げ、疑惑の真相はうやむやのうちに、一連の騒ぎは終結した。
(「昭和史発掘」1)
作品名昭和史発掘

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