朝日新聞 昭和25年9月29日

謀略朝鮮戦争

よみがなボウリャクチョウセンセンソウ
解説 日本の敗戦によって、朝鮮半島は北緯38度線を境に分断された。昭和23(1948)年、アメリカに占領された南側に大韓民国(韓国)が、ソ連に占領された北側に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が成立したのである。
 朝鮮半島を舞台にした戦争は、昭和25(1950)年6月25日、北朝鮮の韓国侵攻によって火ぶたが切って落とされた。開戦4日めには、韓国の首都ソウルが北朝鮮軍によって制圧され、アメリカは国連軍を組織し9月15日仁川へ上陸、ソウルを奪回した。
 朝鮮戦争は、半島を戦場とした東西両陣営の代理戦争というにとどまらぬ深い影響を、日本の戦後史に与えている。大局的には、GHQによる日本占領政策のグランドデザインの急旋回である。占領初期、アメリカ側は日本の旧軍閥勢力やそれに結びついた独占資本を排除し、民主化政策を推進することで、日本を東西両陣営から独立した「東洋のスイス」たらしめようとした。しかし、東西対立が厳しさを増したとき、日本を西側陣営の橋頭堡として利用しようという方針に転換したのである。
 こうした昭和二十年代の日本をめぐる国際情勢を通して、『日本の黒い霧』で扱われたさまざまな怪事件を見てゆくと、その構図が鮮やかに浮かび上がってくる。
 朝鮮戦争で米軍によって使用されたといわれる細菌兵器。そのノウハウをもつ七三一部隊員を追及していた帝銀事件の捜査方針は、なぜ曲げられたのか。下山・三鷹・松川事件やラストヴォロフ事件、鹿地亘事件などを通して、共産主義勢力の脅威が喧伝された意図はどこにあったのか。軍国主義者の公職追放が一転して、レッドパージに変わったのはなぜか。
『日本の黒い霧』には、個々の事件の真相の追及とともに、戦後の日本が辿った数奇な運命が描かれている。
作品名日本の黒い霧

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