朝日新聞 昭和24年8月18日

推理・松川事件

よみがなスイリ・マツカワジケン
解説 昭和24(1949)年は、国鉄をめぐる怪事件が続発した年だった。
▽下山事件 ──7月5日から行方不明となっていた国鉄総裁下山定則が翌6日、東京郊外の綾瀬駅付近の線路上で轢断死体となって発見。自殺とされた。
▽三鷹事件 ──7月15日夜、東京三鷹駅構内の車庫から突然無人電車が暴走し、駅前の派出所と民家に突っ込み、死者6名、重軽傷者20余名を出した。国鉄労働組合員の日本共産党員ら10名が検挙された。
▽松川事件 ──8月17日午前3時過ぎ、東北本線松川駅近くで上り列車が脱線転覆、機関士ら3名が死亡。
 わずか1ケ月あまりの間に、国鉄をめぐってこれだけの事件・事故が発生している。直前の6月9日には、国鉄の人員整理に反対して東神奈川車掌区がストに入り、国鉄の人民管理を決議して、車体の前と横に「人民電車」と大書し、赤旗をかかげた電車を走らせた「人民電車事件」が起きている。このような物情騒然たる世相の中で松川事件は発生し、共産党員が容疑者として検挙されたのである。
 GHQ内部の、日本の徹底した民主化を推進するGS(民政局)と諜略・治安担当のG2(参謀部第二部・作戦部)との権力闘争は、激しさを増していた。松川事件は、東西両陣営の対立が強まり、GHQの対日占領政策が日本の民主化から、日本を対共産圏の防衛の砦とする方向へ転換している最中に続発した怪事件の最たるものであり、広津和郎はじめ、多くの知識人も声を挙げた。三鷹・松川両事件とも、後に相次いで無罪判決が出されている。
作品名日本の黒い霧

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