仙台城下絵図

登録番号43
管理番号1
資料群名H29寄贈3
年月日文政3年(1820)頃
数量1鋪
法量縦144.5 横158.3
備考・解説11代藩主伊達斉義が藩主に就任して間もない文政3年(1820)頃の仙台城下を描いた藩政用の城下絵図の原図または下絵とみられる。藩の施設の建築などを担った作事方の家に伝来した。杉山台(台原)、延命院(仙岳院脇院)、小田原から仙台城二の丸に向かって朱筆で方位線が引かれていること、明屋敷(空き屋敷)の屋敷主名が朱筆されていることは、寛政元年(1789)頃の仙台城下絵図と共通する。一方で、広瀬川には文化9年(1812)の洪水により形成されたと見られる、花壇を分断する流路が描かれていることや、寛政元年頃の城下絵図で、一帯が明屋敷となっていた区域が藩が管理する畑や苗畑、大身家臣の下屋敷などに転用されていることなど、寛政年間以後の城下の変容もうかがえる。『仙台市博物館館蔵名品図録 改訂版』55。

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