伊達政宗書状

登録番号2282
管理番号43
資料群名国分家資料
作成者等国分源三(行信)宛
年月日(文禄2年〔1593〕)閏9月20日
数量1通
法量縦15.6 横48.8
備考・解説文禄2年(1593)9月12日に朝鮮の釜山を発った政宗は、同18日に名護屋(佐賀県唐津市)へ帰陣、閏9月中旬に京都に帰着する。この手紙は京都到着から間もなく、国元の国分行信に宛てたもの。国分氏は初代政信が南北朝期に伊達氏7世行宗に仕えて以来の伊達氏譜代の家臣で、戦国期においては一族の家格に列していた。行信は11代当主である。この手紙は、無事に帰朝を果たし、豊臣秀吉の思し召しも過分なほどである、と記したのち、この手紙を携えて帰国する国分氏の家臣について触れる。この度の朝鮮での骨折り・苦労はたいへんなものだったから、それに報いるため、この者に特別の温情を加えるように、と。この解釈は、国分行信と同様に政宗の朝鮮出陣に家臣を差し出した黒木宗俊や茂庭義秀宛の手紙を参照したものである。この頃、政宗は、岩出山(宮城県大崎市岩出山)の屋代景頼に、閏9月23日に伏見で茶の饗応を受けたこと、同25日には聚楽屋敷に加えて伏見にも屋敷を与えられたことを知らせ、秀吉の懇ろな様子を伝えている。『仙台市博物館収蔵資料図録⑨ 伊達政宗文書』48、『仙台市史 伊達政宗文書』953。

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