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伊達政宗書状

登録番号2280
管理番号1
資料群名S52購入34
作成者等(屋代勘解由兵衛景頼宛)
年月日文禄2年(1593)8月14日
数量1巻
法量縦29.7 横102.5
備考・解説豊臣秀吉の朝鮮出兵の命令により、朝鮮在陣中の政宗が、日本へ帰る間近に国元へ差し出した手紙。宛所を欠くが、内容から岩出山城(宮城県大崎市岩出山)で留守居をしていた屋代景頼だろう。文書の前部分が欠けているが、かなり長文である。文中では、年貢の取り立てを厳重に行い帳面に仕立てて来年3月まで京都に届けること、また伏見や聚楽の屋敷の造作に莫大な費用がかかるので、その資金を調達すること、帰国すれば聚楽で口切りの茶事が行われるだろうから、雁・鶴・白鳥を京都へ送り届けること、馬や鷹も来春中に送り届けること、ただし2つ3つは年内に届けること、去年残しておいた逸物の鷹は急いで届けることを列記した上で、急いで上洛するよう命じる。そして、注文の品が間違いなく届くように京都から国元に細かく指示すること、さらに少納言(片倉喜多、家臣の片倉景綱の異父姉で幼い政宗の保育係を務めた)を、京都から急いで亘理城の景綱のもとに送ること、今年の家政費は去年と同額か少し増して支給することなどを命じている。さまざまな指令のなかに突然「この世で再び会えることは夢のようだ。京都でたっぷりと語り明かそう」という一文が現れる。無事に帰国できる喜びが如実に示されているといえよう。なお、文禄2年(1593)中に景頼の上洛があったか否かは不明である。閏9月中旬に帰京した政宗が、同月24日・25日付で国元の景頼に手紙を差し出しているから、少なくとも対面する機会はなかったとみられる。『仙台市博物館収蔵資料図録⑨ 伊達政宗文書』46、『仙台市史 伊達政宗文書』948。

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