伊達政宗知行配分日記

登録番号2274
管理番号7-1
資料群名片倉家資料
作成者等片倉小十郎(景綱)宛
年月日天正18年(1590)9月21日
数量1通
法量縦35.3 横53.0
備考・解説包紙あり(2274、4655)。政宗の重臣片倉景綱は、片倉家の系譜資料などによると、奥羽仕置の際に豊臣秀吉から田村領5万石を与えられ、朱印状も出されたが、景綱は政宗に対する忠義心が薄くなるとしてこれを辞退し、朱印状も返却したという。その際の朱印状の写しとして片倉家に伝来してきたのが、この資料である。しかし、この時期に豊臣秀吉が出す所領宛行に関する文書とは異なって、所領を与える旨の文言が記されていない。また景綱は、以前に秀吉から書状を与えられた際には宛所が「との」と平仮名書きで記されているが、この資料では「殿」と漢字で記されており、陪臣(家臣の配下、ここでは秀吉の家臣である政宗の配下ということ)に対しては礼が厚すぎる。こうしたことなどから、秀吉発給資料を写したものとは認定しがたい。一方で、使われている料紙は政宗が知行宛行状に使う場合と似た厚手の雁皮紙(斐紙)で、また筆跡も政宗右筆のものに酷似していることなどから、秀吉朱印状を構成に写したものではなく、政宗が発給主体となって作成された文書と考える方が妥当である。実際、天正年間には、この資料と同様に知行の内訳とそれを与えると述べた文言を記し、政宗の署名・花押・印判を欠きながら、明らかに政宗右筆の手になる文書がいくつか伝わっている。その性格についてはなお検討が必要だが、知行宛行に際しての目録(知行配分日記)、あるいは正式な知行宛行の前提となる資料である可能性が考えられる。『仙台市博物館収蔵資料図録⑨ 伊達政宗文書』29、『仙台市史 伊達政宗文書』758。

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