伊達政宗書状

登録番号2268
管理番号1
資料群名H28購入3
作成者等須田佐土(渡)守宛
年月日(天正17年〔1589〕)6月5日
数量1幅
法量縦34.5 横35.3
備考・解説政宗が須田佐渡守に宛てた手紙。須田は須賀川城主二階堂氏の家臣。天正17年(1589)6月5日、蘆名氏と伊達氏の軍勢が磐梯山麓の摺上原(福島県猪苗代町・磐梯町)で激突、合戦は一日で終わり、伊達勢が勝利して蘆名勢を敗走させた。これによって政宗は、9日に蘆名氏の居城だった会津黒川城(福島県会津若松市)へ入城した。この資料は、摺上原合戦の当日に発給されたものであり、合戦では金上氏・針生氏といった蘆名氏家臣をはじめとする大勢を討ち取り、翌日には黒川へ向かって調略を進めるなどと述べ、合戦前後の様子を生々しく伝えている。その後、8月末頃までに会津地方の主要部分を勢力下に置いた政宗は、次に須賀川(福島県須賀川市)の二階堂氏攻めに取りかかった。須賀川城を守るのは、政宗の伯母にあたる二階堂盛義の妻(盛義はすでに他界)だったため帰順を勧めたが、結局功を奏せず、10月に須賀川城を落城させている。12月までには石川郡(福島県石川町・浅川町など)の石川昭光(政宗の叔父)や浅川次郎左衛門らが配下に属することになり、家督を継いでから5年目にして南奥羽の大半をほぼ手中に収めて、伊達氏の歴史上、最大の領土を築くことに成功している。『仙台市博物館収蔵資料図録⑨ 伊達政宗文書』20、『仙台市史 伊達政宗文書』。

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