写真 ご神体保持行列

分類郷土資料館資料
郷土資料館篠路烈々布郷土資料館
郷土資料館分類総集
分類番号11-5
受入番号124
資料解説明治31年(1898年)9月の全道的な水害は篠路村にとっても決定的な打撃で、収穫皆無の状況であった。烈々布もその例外でなかった。このとき入植者の中から、神への帰依の声が出、神社の建築となった。当時組織されたばかりの若連中(後の青年会)が寄付集めに奔走し、神社を建立することができた。
翌32年、中西伊三左衛門が、富山県東砺波郡北野村の「北野天満宮」より分体を受け神社に安置し部落の鎮守(祭神、天満宮 菅原道真公)として奉仕することになった。
これが烈々布天満宮(烈々布神社)である。
以後約70年を経過した昭和41年(1966年)、①部落民から村民の鎮守の神となること。②より多くの人々によりお仕えすることは手落ちがなくなる。③立派な社に安置できる。
等々、部落民の議論の結果、篠路神社に合祀することに決定したのである。
この写真は、そのときの篠路神社へ合祀のための遷宮の行列を撮影したものである。

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