パネル 篠路歌舞伎伝承の青年演劇(篠路歌舞伎興行場面)

分類郷土資料館資料
郷土資料館篠路烈々布郷土資料館
郷土資料館分類総集
分類番号11-1
受入番号108
資料解説明治31年(1898年)、中西正次郎が「若連中(後の青年会)」を組織して、若者を結集し愛郷心・信仰心・団結・連帯意識の高揚を図る行事に取り組んだ。
明治35年(1902年)、大沼三四郎(後の芸名花岡義信)を指導者とし、素人芝居の初公演を行ない、以後毎年祭典に奉納されることになった。
大正6年(1917年)、花岡義信が「素劇楽天」を発足させた。これが花岡義信を座長とする篠路歌舞伎の始まりである。
昭和9年(1934年)篠路歌舞伎の「花岡義信」が引退をした。それ以後の篠路歌舞伎は、青年演劇として受け継がれることになる。烈々布青年会は大沼三四郎や黒田繁雄の指導で祭典興行を行ない、青年会の演劇の競演には度々最高位に入選している。しかし、社会情勢の急灘な変化と文化の進展に伴う娯楽傾向の変化、加えてテレビ放送の開始が引き金となり、昭和29年(1954年)9月の秋祭の講演を最後にして素人芝居は全く姿を消すことになった。
この写真は、人情劇「宝の入り船」の一場面と「義経千本桜」の出演者の写真である。
(昭和24年9月13日の撮影)

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