開拓者 及川専治

分類郷土資料館資料
郷土資料館手稲記念館
郷土資料館分類開拓の歴史
分類番号111-3
受入番号178
資料解説宮城県刈田郡白石(現在の宮城県南部)の人。安政6年(1859)3月、父所右衛門の子に生まれた。明治4年(1871)の片倉藩の北海道集団移住に加わり、翌5年、上手稲に住みついて農業開拓に努力した。住みついて間もなく、明治5年、札幌の資生館に和漢英字を学び、翌6年、札幌医学校官費生(国からお金を頂いて学ぶ学生)となった。明治8年、函館の小学校教員伝習所に入所し、翌3月卒業、訓導の免許状(教師の免許状)を受け、西創成小学校、岩内、日高、上手稲、浜益、空知等各地の学校で教師をつとめた人である。
その後、上手稲で農牧の業に努力した。その間、村農会の会長、学務委員、村会議員等の要職(重要な役目)に就き地方振興に尽力した。
写真説明手稲の開拓に努力した及川専治

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