豊臣秀吉自筆書状(いわ宛)
資料番号 | 1984-001 |
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資料名 | 豊臣秀吉自筆書状(いわ宛) |
員数 | 1幅 |
制作年代 | 桃山時代(十月廿四日付) |
解説 | 又申 しとつゝ一か 可給候、いそ(急) きまいり申候 かへすゝゝゝ いそか(忙)わしく かくと候も ふてほ(筆を)そめし心さ しあさ(浅)からす候、以上 此ミかん一おけ(桶) 参候、十ニして 五つまところ(政所) 三つ五もし 一はんきん五(金吾) はんおひめ(姫) 合十のふん」よく〱わけ候て せうくわん(賞翫)候へく候 かしくゝゝゝ 十一月廿四日 (封) いわ てんか 秀吉の自筆による、みかん一桶の送り状。「てんか」(天下、殿下)と署名されているので、関白在任中のものと分かる。宛名は「いわ」とあるが、侍女の名を借りて正室の北政所に出したものだろう。みかんの分配を細かく指示しており、北政所は五割、「五もし」(養女の豪姫)は三割、「きん五」(養子の小早川秀秋)は一割半、「おひめ」(養女の小姫)は一割の半分(五分)と記す。右端から行間にわたって書かれた追而書では、忙しい中これを書いたのは愛情が深いからだとアピールしており、さらに右隅に「しとつゝ」」(尿筒。携帯用便器)を急いで送ってほしいと頼んでいる。この書状が書かれた年代については、織田信雄の長女の小姫が秀吉の養女となったとされる天正一五年から、豪姫が宇喜多秀家と婚姻する天正一六年までの間で、秀吉が北政所や子どもたちと離れた場所にいた時期を考え合わせ、天正16年10月22日と推定されている。 ・堀新「第3章 天下と殿下」山本博文・堀新・曽根勇二『豊臣政権の正体』柏書房 2014年 |