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住吉祭礼図屏風
| 資料番号 | 1982-051 |
|---|---|
| 資料名 | 住吉祭礼図屏風 |
| 指定 | 堺市指定文化財 |
| 員数 | 6曲1双 |
| 制作年代 | 江戸時代 |
| 解説 | 堺博物館所蔵の住吉祭礼図屏風(以下、堺市博本)は、左隻に住吉大社、右隻に堺の町を配し、左隻から右隻へと住吉祭の行列が進む様子を描く。住吉祭を他の祭礼と組み合わせた屏風や、大坂城下の景色の一つとして住吉祭と堺を描く屏風は複数知られるが、堺の町を一隻全体に表し、一双にわたって住吉祭の行列を描く例は本作が唯一である。 右隻の堺の町を行列しているのは、母衣武者や南蛮人など様々な仮装をした人々。猿田彦に始まる本来の渡御行列は、左隻の細江川あたりから始まり、住吉大社まで続き、神輿が四基境内を出発している。行列にアハラヤ・斎の姿は見えない。神官に続いて鳥居をくぐる黒衣の人物は、花笠をかぶっておらず、巫女を表すものだろう。 右隻の仮装行列は、堺の手前で海側へ曲がり、浜辺をしばらく進んだ後、堺の町に入って宿院へと進む。通りの両側には厨子二階の商家が整然と並び、店の裏手に白壁の土蔵がそびえる。 堺市博本は、画風から寛永年間(一六二四~四四)頃、町絵師の工房で制作されたものと判断される。同じ工房の制作とみられる作品がいくつか知られる。この工房の特徴として、建物をしっかりと描く点が挙げられ、堺の町並みはひときわ立派に表される。 元和から寛永にかけ、住吉大社や堺には復興の気運が高まっていたと思われる。住吉大社は、天正四年(一五七六)、石山合戦に際して焼失し、再び本来の姿を取り戻したのは元和四年(一六一八)の造営遷宮の時だった。堺では慶長二〇年(一六一五)の全焼後、徳川幕府による計画都市としての再建が進んでいた。堺市博本の整然とした美しい町並みは、新時代の到来を示しているように感じられる。 ・知念理「個人蔵「厳島・住吉祭礼図」―堺市博物館蔵「住吉祭礼図」のその後―」『広島県立美術館研究紀要』七、二〇〇四年 (『特別展 都市の祈り 住吉祭と堺』より) 『堺市博物館優品図録』『堺市博物館所蔵品図録 屏風編』『特別展 都市の祈り 住吉祭と堺』に掲載 |