検索トップ 検索結果一覧 キーワード 全ての語を含む いずれかの語を含む 分類 選択... その他の検索条件その他の検索条件 資料ID ~ 資料名 年月日 ~ 撮影地 多摩市 八王子市 稲城市 町田市 日野市 多摩センター 聖蹟桜ヶ丘 一ノ宮 関戸 諏訪 永山 落合 鶴牧 南野 唐木田 中沢 山王下 貝取 乞田 豊ヶ丘 愛宕 和田 落川 百草 東寺方 桜ヶ丘 連光寺 馬引沢 聖ヶ丘 南大沢 堀之内 若葉台 大分類 歴史(近世以前) 中分類 風景(多摩ニュータウン) 風景(多摩ニュータウン以外) 開発前 航空斜写真 垂直写真 民俗 植物 パブリックアート(彫刻) アート(壁画・絵画) その他 小分類 鳥類 画像有のみを表示 再検索 リセット 検索条件[年月日:1975/00/00]で8212件ヒットしました。 1件目~10件目を表示しています。 並べ替え 資料名 昇順 資料名 降順 資料ID 昇順 資料ID 降順 年月日 昇順 年月日 降順 撮影地 昇順 撮影地 降順 解説 昇順 解説 降順 5 10 20 50 100 件ずつ表示 文字画像一覧 画像一覧 文字一覧 «最初 前へ 1/822 次へ 最後» 「小泉屋敷」のコブシ(昭和50(1975)年代) 資料ID:528 年月日:1975/00/00 撮影地:八王子市,鑓水 解説: 周辺に建物が建ったため、ID528~ID530の新旧の撮影角度は異なります。小泉家屋敷は多摩地域の「養蚕農家」の姿を今に伝えてくれるものとして母屋・裏山などが東京都の文化財に指定されています。 母屋は明治11年(1878)建設で、文化財指定はこの古い写真の2年後、昭和47年にうけました。 昔も今も春にはコブシの花が咲き誇ります。 「小泉屋敷」のコブシ(昭和50(1975)年代) 資料ID:529 年月日:1975/00/00 撮影地:八王子市,鑓水 解説: 周辺に建物が建ったため、ID528~ID530の新旧の撮影角度は異なります。小泉家屋敷は多摩地域の「養蚕農家」の姿を今に伝えてくれるものとして母屋・裏山などが東京都の文化財に指定されています。 母屋は明治11年(1878)建設で、文化財指定はこの古い写真の2年後、昭和47年にうけました。 昔も今も春にはコブシの花が咲き誇ります。 多摩消防署 いま・むかし(昭和50年(1975)頃) 資料ID:744 年月日:1975/00/00 撮影地:多摩市,永山,多摩消防署 解説:現在の多摩消防署は、昭和47年(1972)3月21日に竣工したもので、古い写真は昭和47年~昭和50年頃に撮影されたものと推定されます。 現在は窓の様子が少し変わっていますが、建物自体に大きな変化はありません。横断歩道近くにある電話ボックスも、現在もほぼ同じ場所に設置されています。 電話ボックスの中にある公衆電話は黄色い公衆電話です。黄色の公衆電話は100円玉が使えるもので、現在は廃止されてありません。この公衆電話が採用されたのは多摩消防署が出来た頃でした。当時としては最新の型が設置されていたことになります。 昭和50年(1975)年計画 多摩センター駅前開発イメージ模型(3枚) 資料ID:808 年月日:1975/00/00 撮影地:多摩市,落合,多摩センター駅 解説:駅前地区のオープンを5年後に控えた、昭和50年(1975)の開発イメージ模型です。 関連資料にあげた5年前の模型(ID802)と比べると、線路を覆うように作られていた巨大な駅ビルの構想がなくなり、駅から中央公園までを貫く大きな歩行者専用道路のイメージが新たに生まれたことが分かります。 現在のパルテノン多摩にあたる場所には、灯台のような大きなモニュメントがあり、この場所に街を象徴する施設を設置するイメージがうかがえます。 昭和50年(1975)年計画 多摩センター駅前開発イメージ模型(3枚) 資料ID:809 年月日:1975/00/00 撮影地:多摩市,落合,多摩センター駅 解説:駅前地区のオープンを5年後に控えた、昭和50年(1975)の開発イメージ模型です。 関連資料にあげた5年前の模型(ID802)と比べると、線路を覆うように作られていた巨大な駅ビルの構想がなくなり、駅から中央公園までを貫く大きな歩行者専用道路のイメージが新たに生まれたことが分かります。 現在のパルテノン多摩にあたる場所には、灯台のような大きなモニュメントがあり、この場所に街を象徴する施設を設置するイメージがうかがえます。 昭和50年(1975)年計画 多摩センター駅前開発イメージ模型(3枚) 資料ID:810 年月日:1975/00/00 撮影地:多摩市,落合,多摩センター駅 解説:駅前地区のオープンを5年後に控えた、昭和50年(1975)の開発イメージ模型です。 関連資料にあげた5年前の模型(ID802)と比べると、線路を覆うように作られていた巨大な駅ビルの構想がなくなり、駅から中央公園までを貫く大きな歩行者専用道路のイメージが新たに生まれたことが分かります。 現在のパルテノン多摩にあたる場所には、灯台のような大きなモニュメントがあり、この場所に街を象徴する施設を設置するイメージがうかがえます。 現在とよく似た歩道が計画されており、5年前の計画(ID805)よりも現況に近いものとなっています。 昭和50年度(1975)撮影 南野配水所周辺(航空斜写真) 資料ID:939 年月日:1975/00/00 撮影地:多摩市,南野 解説:昭和50年度に現在の一本杉公園上空から撮影された航空斜写真です。①は多摩清掃工場、②は平久保(びりくぼ)のシイ、③は南野給水所になります。 南野給水所の下側に見えているのは現在の多摩市一本杉公園野球場、平久保(びりくぼ)のシイ右側の空き地には、平成11年(1999)に統廃合により閉校となった南落合小学校が建設されました。 昭和50年度(1975)撮影 南野配水所周辺(航空斜写真) 資料ID:940 年月日:1975/00/00 撮影地:多摩市,南野 解説: 昭和50年度に現在の一本杉公園上空から撮影された航空斜写真です。写真は、平久保のシイ付近を切り抜いたもの。 昭和50年度(1975)撮影 南野配水所周辺(航空斜写真) 資料ID:941 年月日:1975/00/00 撮影地:多摩市,南野 解説: 昭和50年度に現在の一本杉公園上空から撮影された航空斜写真です。南野給水所付近を切り抜いたものになります。 昭和50年(1975)度撮影 多摩清掃工場と唐木田駅周辺(航空斜写真) 資料ID:942 年月日:1975/00/00 撮影地:多摩市,唐木田 解説: 昭和50年度に撮影された、多摩清掃工場と唐木田駅周辺の様子です。多摩清掃工場は、多摩市全域と八王子市・町田市の多摩ニュータウン区域の人口約25万人分のごみ処理などを行う施設で、昭和48年(1973)に運転を開始しました。 ①に見えるゴルフ場は府中カントリークラブ、②のあたりが現在の唐木田駅になります。③に見えるのが多摩清掃工場。 «最初 前へ 1/822 次へ 最後» 【更新情報】 ・NEW!2023年撮影の航空斜め写真90点を追加しました(解説は今後追加予定)。「航空斜め写真」チェックボックス+資料名「2023」で検索できます。(2023.12.31) ・NEW!2012年撮影の航空斜め写真71点を追加しました。「航空斜め写真」チェックボックス+資料名「2012」で検索できます。(2023.12.16) 【過去更新情報】 ・市民学芸員の調査成果・街角アート(パブリックアート・彫刻)情報79点を追加しました。「パブリックアート」チェックボックスをご利用ください。(2023.10.1) ・貝取第一自治会および新倉氏のご協力により、貝取地区の写真約90点を追加しました。(2023年7月) ・多摩・フクロウの会の野鳥写真約500点を追加しました。(2023年2月・7月) 【ご注意】多摩市域の地区名ごとの検索チェックボックスより、キーワード検索のほうが多くのヒットがありますので、当面はキーワード検索をお使いください。(2023.7.23記) パルテノン多摩地域資源データベース[検索トップ画面にもどる] パルテノン多摩地域資源データベース[データベース入口画面にもどる] PageTop
検索条件[年月日:1975/00/00]で8212件ヒットしました。 1件目~10件目を表示しています。 並べ替え 資料名 昇順 資料名 降順 資料ID 昇順 資料ID 降順 年月日 昇順 年月日 降順 撮影地 昇順 撮影地 降順 解説 昇順 解説 降順 5 10 20 50 100 件ずつ表示 文字画像一覧 画像一覧 文字一覧 «最初 前へ 1/822 次へ 最後»
「小泉屋敷」のコブシ(昭和50(1975)年代) 資料ID:528 年月日:1975/00/00 撮影地:八王子市,鑓水 解説: 周辺に建物が建ったため、ID528~ID530の新旧の撮影角度は異なります。小泉家屋敷は多摩地域の「養蚕農家」の姿を今に伝えてくれるものとして母屋・裏山などが東京都の文化財に指定されています。 母屋は明治11年(1878)建設で、文化財指定はこの古い写真の2年後、昭和47年にうけました。 昔も今も春にはコブシの花が咲き誇ります。 「小泉屋敷」のコブシ(昭和50(1975)年代) 資料ID:529 年月日:1975/00/00 撮影地:八王子市,鑓水 解説: 周辺に建物が建ったため、ID528~ID530の新旧の撮影角度は異なります。小泉家屋敷は多摩地域の「養蚕農家」の姿を今に伝えてくれるものとして母屋・裏山などが東京都の文化財に指定されています。 母屋は明治11年(1878)建設で、文化財指定はこの古い写真の2年後、昭和47年にうけました。 昔も今も春にはコブシの花が咲き誇ります。 多摩消防署 いま・むかし(昭和50年(1975)頃) 資料ID:744 年月日:1975/00/00 撮影地:多摩市,永山,多摩消防署 解説:現在の多摩消防署は、昭和47年(1972)3月21日に竣工したもので、古い写真は昭和47年~昭和50年頃に撮影されたものと推定されます。 現在は窓の様子が少し変わっていますが、建物自体に大きな変化はありません。横断歩道近くにある電話ボックスも、現在もほぼ同じ場所に設置されています。 電話ボックスの中にある公衆電話は黄色い公衆電話です。黄色の公衆電話は100円玉が使えるもので、現在は廃止されてありません。この公衆電話が採用されたのは多摩消防署が出来た頃でした。当時としては最新の型が設置されていたことになります。 昭和50年(1975)年計画 多摩センター駅前開発イメージ模型(3枚) 資料ID:808 年月日:1975/00/00 撮影地:多摩市,落合,多摩センター駅 解説:駅前地区のオープンを5年後に控えた、昭和50年(1975)の開発イメージ模型です。 関連資料にあげた5年前の模型(ID802)と比べると、線路を覆うように作られていた巨大な駅ビルの構想がなくなり、駅から中央公園までを貫く大きな歩行者専用道路のイメージが新たに生まれたことが分かります。 現在のパルテノン多摩にあたる場所には、灯台のような大きなモニュメントがあり、この場所に街を象徴する施設を設置するイメージがうかがえます。 昭和50年(1975)年計画 多摩センター駅前開発イメージ模型(3枚) 資料ID:809 年月日:1975/00/00 撮影地:多摩市,落合,多摩センター駅 解説:駅前地区のオープンを5年後に控えた、昭和50年(1975)の開発イメージ模型です。 関連資料にあげた5年前の模型(ID802)と比べると、線路を覆うように作られていた巨大な駅ビルの構想がなくなり、駅から中央公園までを貫く大きな歩行者専用道路のイメージが新たに生まれたことが分かります。 現在のパルテノン多摩にあたる場所には、灯台のような大きなモニュメントがあり、この場所に街を象徴する施設を設置するイメージがうかがえます。 昭和50年(1975)年計画 多摩センター駅前開発イメージ模型(3枚) 資料ID:810 年月日:1975/00/00 撮影地:多摩市,落合,多摩センター駅 解説:駅前地区のオープンを5年後に控えた、昭和50年(1975)の開発イメージ模型です。 関連資料にあげた5年前の模型(ID802)と比べると、線路を覆うように作られていた巨大な駅ビルの構想がなくなり、駅から中央公園までを貫く大きな歩行者専用道路のイメージが新たに生まれたことが分かります。 現在のパルテノン多摩にあたる場所には、灯台のような大きなモニュメントがあり、この場所に街を象徴する施設を設置するイメージがうかがえます。 現在とよく似た歩道が計画されており、5年前の計画(ID805)よりも現況に近いものとなっています。 昭和50年度(1975)撮影 南野配水所周辺(航空斜写真) 資料ID:939 年月日:1975/00/00 撮影地:多摩市,南野 解説:昭和50年度に現在の一本杉公園上空から撮影された航空斜写真です。①は多摩清掃工場、②は平久保(びりくぼ)のシイ、③は南野給水所になります。 南野給水所の下側に見えているのは現在の多摩市一本杉公園野球場、平久保(びりくぼ)のシイ右側の空き地には、平成11年(1999)に統廃合により閉校となった南落合小学校が建設されました。 昭和50年度(1975)撮影 南野配水所周辺(航空斜写真) 資料ID:940 年月日:1975/00/00 撮影地:多摩市,南野 解説: 昭和50年度に現在の一本杉公園上空から撮影された航空斜写真です。写真は、平久保のシイ付近を切り抜いたもの。 昭和50年度(1975)撮影 南野配水所周辺(航空斜写真) 資料ID:941 年月日:1975/00/00 撮影地:多摩市,南野 解説: 昭和50年度に現在の一本杉公園上空から撮影された航空斜写真です。南野給水所付近を切り抜いたものになります。 昭和50年(1975)度撮影 多摩清掃工場と唐木田駅周辺(航空斜写真) 資料ID:942 年月日:1975/00/00 撮影地:多摩市,唐木田 解説: 昭和50年度に撮影された、多摩清掃工場と唐木田駅周辺の様子です。多摩清掃工場は、多摩市全域と八王子市・町田市の多摩ニュータウン区域の人口約25万人分のごみ処理などを行う施設で、昭和48年(1973)に運転を開始しました。 ①に見えるゴルフ場は府中カントリークラブ、②のあたりが現在の唐木田駅になります。③に見えるのが多摩清掃工場。 «最初 前へ 1/822 次へ 最後»