亀倉雄策

作家名(ヨミ)かめくら ゆうさく
作家名(英語)KAMEKURA,Yusaku
生年1915
生年(和暦)大正4
没年1997
没年(和暦)平成9

略歴・解説

1915年(大正4)、新潟県西蒲原郡吉田村(現・燕市吉田)の大地主の家に生まれるが、生家が没落し、9歳(1924年|大正13)の頃一家で東京郊外の武蔵境に移り住む。1935年(昭和10)川喜田煉七郎が主催する「新建築工芸学院」に入学し、バウハウスの抽象構成理論を学ぶ。1938年(昭和13)日本工房発行『NIPPON』にアート・スタッフとして参加、以後数回にわたり表紙デザインを担当。1940年(昭和15)名取洋之介と共にサンフランシスコ万国博覧会の写真壁画構成を手がける。
1945年(昭和20)終戦後、銀座に「造型編輯技術室」を設立、デザイナーとして独立する。1951年(昭和26)日本宣伝美術会の設立に参加し、これ以後中心的役割を果たす。1955年(昭和30)「グラフィック’55」展企画開催。自身をはじめ7名の国内グラフィックデザイナーに加え、海外からの招聘作家も含めた画期的なグループ展で高く評価される。1960年(昭和35)日本を会場とした初の国際デザイン会議「世界デザイン会議」で常任委員を務める。東京オリンピックのシンボルマークコンペで自身の案が選ばれ、1964年(昭和39)開催までに第1〜4号を発表。
1970年(昭和45)日本万国博覧会公式ポスター指名コンペで海外向けポスターに選ばれる。1978年(昭和47)日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)の創立に尽力し初代会長に就任。1980年代以降、受賞歴、個展多数。1985年(昭和60)日本電信電話公社が民営化され設立された日本電信電話株式会社(NTT)のシンボルマークを手がける。1986年(昭和61)自身がビルのデザイン、シンボルマークも手がけた株式会社リクルート取締役に就任。他、代表的なものだけでも株式会社YAMAGIWAやグッドデザイン賞、トステム株式会社(株式会社INAXと統合まで)のシンボルマーク、ロゴタイプなど商号デザインを多数手がけた。1997年(平成9)5月急性肺炎のため82歳で没。

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