略歴・解説 | 両親の実家があった広島県で生まれ育ったが、1935年(昭和10)に神戸市に移る。1948年(昭和23)大阪府立天王寺高等学校を卒業。直後より10カ月にわたり胸部疾患のため入院。1950年(昭和25)に大阪市立美術研究所洋画部に入り、須田国太郎、吉原治良、赤松麟作らの指導を受ける。1952年(昭和27)に遠縁にあたる吉原治良に師事。1954年(昭和29)、具体美術協会に創立会員として参加。1955年(昭和30)機関誌「具体」出版直後に脱退し、デモクラート美術家協会会員となる。この頃からリトグラフを手掛ける。1957年(昭和32)第1回東京国際版画ビエンナーレに入選。1967年(昭和42)第9回サンパウロ・ビエンナーレ日本代表。1968年(昭和43)第6回東京国際版画ビエンナーレ文部大臣賞受賞。1970年(昭和45)京都市立芸術大学助教授になる。1978年(昭和53)同大教授となる。1994年(平成6)紫綬褒章受章。2003年(平成15)大阪市文化功労者の顕彰を受ける。2007年(平成19)1月13日死去。この間、数々の個展、展覧会への出品はもちろん、国際版画展にも多数、招待出品し受賞する。 |