雲谷 等益

作家情報名(ヨミ)うんこく とうえき
作家情報名(英語)UNKOKU Tōeki
国籍日本
生年月日(西暦)1591/**/**
生年月日(和暦)天正19年
没年月日(西暦)1644/**/**
没年月日(和暦)正保元年

略歴・解説

江戸時代初期の寛永年間(1624-44)を中心に活躍した、萩藩の御用絵師。名は元直、若年は宮法師と称し、のち次兵衛。友雲と号した。父の雲谷等顔は、毛利輝元より雪舟《四季山水図巻》(毛利博物館)とその旧居雲谷軒を与えられ、雲谷派を創始した人物である。その次男として広島に生まれ、後に萩(山口県)に移った。長兄の等屋は早逝していたため、等顔の死去にともない28歳で家督を相続し、36歳で法橋に叙せられる。「雪舟四代」を唱えた。周防・長門(山口県)を中心に京都でも活躍し、大徳寺には多数の襖絵を描いている。等顔の沈着な画風に比べ、明るく理知的な様式に特色がある。次代への教育に尽力し、分家政策を推し進めたことによって、幕末まで続く雲谷派の基盤を確立した功績は大きい。

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