関係資料一括
| 作家情報 | 満谷 国四郎 MITSUTANI Kunishirō |
|---|---|
| 作者・作品名 | 満谷国四郎 関係資料一括 |
| ふりがな | かんけいしりょういっかつ |
| 受入方法 | 寄贈 |
| 受入年 | 昭和63年 |
| 資料ID | 2461 |
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| 作家情報 | 満谷 国四郎 MITSUTANI Kunishirō |
|---|---|
| 作者・作品名 | 満谷国四郎 関係資料一括 |
| ふりがな | かんけいしりょういっかつ |
| 受入方法 | 寄贈 |
| 受入年 | 昭和63年 |
| 資料ID | 2461 |
| 作家情報名(ヨミ) | みつたに くにしろう |
|---|---|
| 作家情報名(英語) | MITSUTANI Kunishirō |
| 生年月日(西暦) | 1874 |
| 生年月日(和暦) | 明治7年 |
| 没年月日(西暦) | 1936 |
| 没年月日(和暦) | 昭和11年 |
| 略歴・解説 | 現在の岡山県総社市に生まれる。幼少の頃、親戚であった堀和平の油彩画に触れ、小学校では吉富朝次郎の指導を受けた。岡山中学在学中には松原三五郎に学ぶが、明治24(1891)年、同校を中退して上京し、徳永仁臣の紹介で五姓田芳柳に入門、芳柳の死後は小山正太郎の不同舎で学んだ。同33(1900)年、鹿子木孟郎とともにアメリカ経由で渡欧、J.P.ローランスに師事した。翌年帰国し同志とともに太平洋画会を結成、写実的な画風をもって名をなした。同44(1911)年、大原孫三郎の援助で再渡欧し、ルノアールやセザンヌに感化され、平明な装飾的画風へと大きく転換する。また中国にもたびたび渡り、平明な作風を展開しつつ、東洋趣味を盛り込んだ独自の画風を確立した。文展および帝展の審査員をつとめ、帝国美術院会員となるなど中央の画壇で活躍した。 |