芦葉達磨図

ふりがなろようだるまず
作品名 英表記Bodhidharma(Daruma) on a Reed
作家情報長谷川 等伯 HASEGAWA Tohaku
制作年桃山時代
制作年 西暦16世紀
員数1幅
材質・技法紙本墨画淡彩
形状掛幅装
指定
署名・年記等
大区分絵画
中区分東洋画
小区分中世日本
作品解説 達磨がインドから中国に来て梁武帝に見え、法を説こうとするも意が通じなかったので、そこを離れて揚子江を北上し洛陽を目指したが、この時、一葉の芦に乗って渡ったとの伝説を描く。この典拠は不明確であるが、小舟の意の「一葦」が転化し、達磨の神通力を示すようになったと考えられる。達磨はその後、少林寺で壁に向かい無言のうちに九年坐し、弟子である禅宗二祖の慧可を得るのである。本図はこの諦念と新たな決意の同居した達磨の表情を、しかめた眉と前を見据えた三白眼、歯をのぞかせ固く結んだ口によって確かに表現している。さらに、迫力ある筆致によって、ずっしりとした体躯や衣のたなびきを描き出す。背景には薄墨による地塗りが施され、重厚な雰囲気に仕上げられている。画面右下の朱文重廓長方印「長谷川」、朱文鼎印「信春」から、等伯が信春と名乗っていた時期の作であることがわかる。かつ、この印章の組み合わせは《花鳥図屏風》(重要文化財、岡山・妙覚寺)のそれと同一である。また「信春」鼎印は、「信春」袋印使用後から上洛して等伯と号すまでの短期間に用いられたと解釈されているもので、本図は信春が上洛した34歳以降まもなくの作とみなせよう。
 画面上部の賛には「江南野僧梵芳」との署名があるが、江南が琵琶湖南部を指すことから、信春に近江地方と何らかの関わりがあったことが推測されている。もと神奈川県川崎市の寿福寺に伝来したことが、旧箱蓋裏の墨書から判明する。
法量 縦73.2
法量 横32.3
法量 高さ

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