コンポジション
ふりがな | こんぽじしょん |
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作品名 英表記 | Composition |
作家情報 | 坂田 一男 SAKATA Kazuo |
制作年 | 昭和30年頃 |
制作年 西暦 | 1955年 |
員数 | 1点 |
材質・技法 | 油彩・カンバス |
形状 | 額装 |
指定 | |
署名・年記等 | |
大区分 | 絵画 |
中区分 | 洋画 |
小区分 | 近代日本 |
作品解説 | |
法量 縦 | 40.9 |
法量 横 | 31.8 |
法量 高さ |
ふりがな | こんぽじしょん |
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作品名 英表記 | Composition |
作家情報 | 坂田 一男 SAKATA Kazuo |
制作年 | 昭和30年頃 |
制作年 西暦 | 1955年 |
員数 | 1点 |
材質・技法 | 油彩・カンバス |
形状 | 額装 |
指定 | |
署名・年記等 | |
大区分 | 絵画 |
中区分 | 洋画 |
小区分 | 近代日本 |
作品解説 | |
法量 縦 | 40.9 |
法量 横 | 31.8 |
法量 高さ |
作家情報名(ヨミ) | さかた かずお |
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作家情報名(英語) | SAKATA Kazuo |
生年月日(西暦) | 1889 |
生年月日(和暦) | 明治22年 |
没年月日(西暦) | 1956 |
没年月日(和暦) | 昭和31年 |
略歴・解説 | 医学者坂田快太郎の長男として岡山市船頭町に生まれる。岡山中学校を卒業後、医師の道を志して高等学校受験に挑むも失敗を重ね、病気療養中に木炭画を学んで画家の道への転身を決める。大正3(1914)年に上京し、本郷絵画研究所、川端画学校に学ぶ。同10(1921)年に渡仏し、初めアカデミー・モデルヌでオトン・フリエスに師事するも物足りず、フェルナン・レジェの教室に学ぶようになる。アメデエ・オザンファンらと並び、レジェ教室の助手格になる。滞仏中キュビスムから抽象絵画の研究に進み、サロン・ドートンヌなど各種展覧会に出品し、サロン・デ・チュイルリー会員となる。昭和8(1933)年に帰国後は、中央画壇から離れて玉島にアトリエを構え、抽象絵画の造形を探求しながら、近在の洋画家の指導にあたった。同24(1949)年にA. G. O(前衛岡山美術協会)を結成、主宰した。 |