岩村・河井会見の処

ID13-999-00002
名称 (かな)いわむら かわいかいけんのところ
大分類史跡
時代-
年代-
現況-
所在地新潟県小千谷市平成2丁目3-35
地区西小千谷
所蔵者慈眼寺
文化財指定市指定
ライセンスCC BY (表示)
データ形式画像
解説慈眼寺にある会見の間は、皮辰戦争の際、慶応4(1868)年5月2日に長岡藩家老であった河井継之助が、小千谷に本陣を置いた新政府軍の軍監・岩村高俊(精一郎)と講和談判を行った場所です。

岩村は、河井が持参した長岡藩主の嘆願書を見ることもなく、短時間で談判は決裂しました。長岡藩はこれ以降、新政府軍に抗戦することとなり、戦いは小千谷周辺の榎峠や朝日山での戦いなどを経て、7月29日に長岡城が落城するまで続きました。なお河井はこれに先立つ7月24日の戦いで重傷を負い、会津に逃送中の8月16日に塩沢村(現・福島県只見町)で亡くなりました。

慈眼寺には、戊辰戦争に関する資料も保存されており、全国各地からたくさんの人が見学に訪れています。会見の間は、平成16(2004)年10月に発生した新潟県中越地震により全壊しましたが、全国から多くの寄付などが寄せられ、平成18(2006)年9月に現在の形に復旧しました。
更新日2025/04/16
備考文化財指定日:1972年4月1日

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