村瀬太乙筆「水墨画 (婦人顧影之図)」

分類絵画
資料名(ヨミ)ムラセタイオツヒツ スイボクガ フジンコエイノズ
寸法(原寸)132.2×59.0 (外寸)184.0×70.5
成立年代不明
公開解説 村瀬太乙(1804~1881)は、武儀郡上有知(こうずち)村(現在の岐阜県美濃市上有知町)の豪農である村瀬周助の子として生まれた。幼名は外次郎、名は黎(れい)、字は泰一(太一)、号は晦園・太乙という。従祖父(いとこおじ)にあたる村瀬藤城の「梅花村舎」で学んだ後、頼山陽の塾に入門した。奇抜で自由な性格であったため、しばしば山陽を困らせていたといわれている。山陽が没した後、弘化元年(1844)に尾張犬山藩(現在の愛知県犬山市)で藤城の後任となり儒学者として藩主に仕え、藩校で経史を教えた。
 この作品には、振り返る女性の水墨画と、七言絶句の賛が書かれている。

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