出羽国最上山形畑屋合戦図

分類絵図・地図
資料名(ヨミ)デワノクニモガミヤマガタハタヤカッセンズ
寸法97.1×97.3
成立年代江戸時代中期
公開解説 慶長出羽(けいちょうでわ)合戦は、慶長5年(1600)、徳川家康が、五大老の一人上杉景勝(かげかつ)の勢威を牽制(けんせい)するために起こした戦いである会津征伐(あいづせいばつ)を受けて、畑谷(はたや)(現在の山形県東村山郡)で戦った景勝の軍と最上義光(もがみよしあき)の軍の合戦である。
 本図には、東は東根(現在の山形県東根市)から西は鶴岡城(現在の山形県鶴岡市)、北は今新庄城(現在の山形県新庄市)から南は山辺城(現在の東村山郡山辺町)までの範囲が記されている。黄は村や城、赤線は道筋、青は川や堀を示しており、最上出羽守の山形城を通信に初瀬當城(長谷堂城)、畑谷城をはじめとする各城、両軍の配陣や山などの地形が記されている。また、図の上部には合戦の経緯が書かれている。

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