山州山崎合戦図

分類絵図・地図
資料名(ヨミ)サンシュウヤマザキカッセンズ
寸法55.0×58.0
成立年代不明
公開解説 山崎合戦は、天正10年(1582)6月に、豊臣秀吉が山城国乙訓郡山崎(現在の京都府乙訓郡大山崎町)付近で明智光秀を破った合戦である。本能寺の変を聞いた秀吉の迅速な行動と「主君の仇討」という名分や兵力差によって光秀は敗北し、近江国坂本へ向かう途中で殺害された。
 絵図には、豊臣軍と明智軍両軍の配陣が描かれており、赤の三角印は秀吉、赤丸印は豊臣軍を示しており、黒の三角は光秀、黒丸は明智軍を示している。また、黄の丸印は鳥羽や伏見などの地名を示している。

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