村瀬雪峡筆「淡彩画 山水并題(寒川帆影之図)」

分類絵画
資料名(ヨミ)ムラセセッキョウヒツ タンサイガ サンスイナラビニダイ カンセンホエイノズ
寸法(原寸)133.5×32.6 (外寸)186.0×45.0
成立年代明治11年
公開解説 村瀬雪峡(1830~1879)は、武儀郡上有知(こうずち)村(現在の岐阜県美濃市上有知町)の南画家である村瀬秋水の長男として生まれた。名は甒(ぶ)、字は君尊、通称は東作、号は雪峡という。山水画と花鳥画を得意とし、その画風は「その風韻父に及ばざるも画技の巧はむしろ之に過ぐ」と評されるほどだった。経詩詩文を伯父である村瀬藤城、絵を秋水から学んだ後、佐藤一斎や後藤松陰らの門に入った。帰郷すると、藤城の塾「梅花村舎」で塾生に教え、藤城の没後はその文業を継いだ。また、旅を好み各地の文人と交流し、特に頼三樹三郎と親しくしていた。
 この作品は、雪峡が48歳のころに描いた山水画である。また、上部に五言絶句の賛が書かれている。

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