大野百錬書「書四字 天行是健」

分類古典籍
資料名(ヨミ)オオノヒャクレンショ ショヨジ テンコウコレケンナリ
寸法(原寸)18.4×46.6 (外寸)136.0×68.4
成立年代昭和9年(推定)
公開解説 大野百錬(1864~1941)は、大垣藩士大野十助の次男として生まれた。名は鉄之助、号は百錬・水竹山人という。明治16年(1883)から、六街小学校(現在の大垣市立東小学校)や興文学校(現在の大垣市立興文小学校)に勤め、明治28年(1895)以降は岐阜県尋常師範学校や大垣尋常中学校に勤めた。退職後は書道家として活動し、書道団体や国際的な展覧会の審査員を務めた。
 この作品は、百錬が71歳のころに、自身の庵である「水竹居」で書いたものである。『易経』の教訓が元になっており、「太陽や月などの天体の運行、四季の推移は確実で絶えることはない。これと同じように人間も常に気を抜くことなく、努力を怠らず自己を鍛えなければならない。」という意味がある。

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