黒岩恒先生顕彰碑
| No | 百-名-537 |
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| 資料名(よみ)● | くろいわひさしせんせいけんしょうひ |
| 概要 | この顕彰碑は、黒岩恒氏(1858~1930)の教え子・関係者の手により1968年(昭和43)12月7日に建てられました。表には黒岩氏の事跡を記した文が彫られ、裏には黒岩氏作の漢詩が刻まれています。 国頭農学校の初代校長として沖縄の農業・産業界を先導する人物を輩出する一方で、自然学者としてクロイワトカゲモドキやクロイワゼミなど数々の動植物の新種の発見などの功績を残しています。 |
| 詳細 | 黒岩恒先生顕彰碑 黒岩恒先生は安政5年8月高知県高岡郡佐川村立野で生まれ、明治25年沖縄師範学校教諭として赴任。明治35年国頭郡各間切組合立農学校創立に当たり初代校長として迎えられ、大正3年3月第10回卒業生を送り出した後沖台拓殖製糖株式会社読谷山村牧原直営農場に転勤、昭和4年和歌山県伊都佐群高野口村字名倉で逝去した。 その沖縄在住28年、其の間10有3年間の農学校長としての功績が最も顕著であり、文部省から選奨の栄誉に浴し、またそのすぐれた薫陶を与えた教え子400余名を農民指導者として社会に送り出し、自らその最高指導者となり農作物有用植物家畜等優良品種の導入増殖普及に務め、原始的であった沖縄の農法を科学的近代農法へ改革する基礎を創始した事は歴史的に記録されるべきである。学者としては植物昆虫等多くの新品種を発見研究し、その足跡は沖縄全島くまなく遠く尖閣列島の生物及地質調査まで発展し、沖縄自然界の学問的開拓者としての功績は後世に永く没すべからざるものが多い。 ここにその功績の一端を記して永く後世に伝えんと企てこの碑を建立する。 昭和43年戌申 月 建之 黒岩恒先生顕彰会 大城昌隆 撰文 中村三男 謹書 |
| 大分類 | 名護やんばる大百科 |
| 中分類 | 碑文 |
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