アメリカからペルーへ09 一部屋一家族 「バリヤーダの人々2」リマ
アメリカからペルーへ09 一部屋一家族 「バリヤーダの人々2」リマ 岸本建男 1971年9月3日
No | 博-1796 |
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資料名(よみ) | あめりかからぺるーへ09 ひとへやひとかぞく 「ばりやーだのひとびと2」りま きしもとたてお 1971ねん9がつ3にち |
概要 | 1971年(昭和46年)9月3日 沖縄タイムス |
詳細 | アメリカからペルーへ09 一部屋一家族 「バリヤーダの人々2」リマ 岸本建男 私が世話になったオティボ家は、両親に子供が三人の五人家族である。もっともこの家族を五人と言ってしまうのは、ちょっと残念である。犬と猫は家族同様だし、にわとり、ハト、カナリアも小さな庭に一緒に暮らしている。庭と言っても、家の外に作られた日本式の庭と異なって、同じ家の中で、そこだけ床と天井がないといった感じのものだから、一つ屋根の下で共同生活を営んでいると言ったほうが、まだ印象を正確に伝えることになるかもしれない。 父親のラウルが、真面目で働き者だから、この家はバリヤーダ(リマのスラム)の家屋としては、すばらしくいい。バリヤーダには珍しい板張りのきれいな壁だが、惜しいことに隙間だらけで、日本人の来客が面白くて、近所の子供たちが外からのぞいているのがよくわかる。 レンガを敷き詰めただけの床も、ラウルが無駄使いをしない性格でなければ、まだ土間のままであったろう。 金が出来たときにいろいろ手を加えて、長い時間をかけて仕上がった家であることは、たとえば壁板が場所によって異なる種類のものであること,あるいは床に敷いたレンガの質が、部屋ごとにまったく別のものであることによって、知ることができる。バリヤーダでは、ほとんど独力で家を作るので、金が出来るのを待ったり、材料を集めたり、造り上げたりするのに長い期間が必要であり、板造りやレンガ建ての家にすむまでには、ときには何十年もみすぼらしい掘っ立て小屋に住まねばならない。ラウルのこの次の夢は、自分の手でレンガ積みの家を落成させることであろう。 ここサンフランシスコでは、他のすべてのバリヤーダがそうであるように、エステラを家屋材料に使う。エステラは細い竹のような植物で、竹で編んだ垣根のような方法で、まわりを取り巻くと、もう1軒の家が出来上がる。エステラが買えなくても足りない部分は、段ボールや空き缶をつぶしたり、葦を編んだりして壁板代わりにする。窓は、壁からもれてくる明かりや、天井からさしてくる日ざしがあるから、不要であろう。そんなみすぼらしい家に、ときには三家族も同居している。3DKなどという日本の庶民の夢も、ここでは、「一部屋一家族」というもっとつつましいものになっている。 屋根は、すべての家が屋根とは呼べないしろものである。1年中雨のないコスタ(海岸地帯)でも空気はかなり湿っていて、しかも砂の上にじかに生活しているから、室内の湿度は高い。砂に湿気を帯びる性質があるのかどうか知らないけれども、一度屋根のないバリヤーダの家屋に泊まったとき、腰掛けに脱ぎ捨てておいた洋服が、翌朝には着るのが気持ち悪いほど湿っていたことがあるので、夜露をしのぐためにも屋根は要るわけだろうし、ボロ布や紙切れなど、ひと雨くればもうおしまいといった物で雨露を防いでいる。そういう建て物を海辺で見ているときには、海岸端の家が、いつでも自然に耐えているような感じを与えるように、吹きつける潮風や砂嵐を耐えている姿が痛ましい。 バリヤーダには、公共施設はほとんどない。電気、水道はもとより、部落に一つの井戸もないのが多いので、定期的にやってくる水屋はいい商売である。水売りは、ときには20キロもの距離をトラックで運んできて、一斗カンの1杯を5ソーレス(12セント)から10ソーレスの値で商う。一家族の平均収入が一日60ソーレス(150セント)ぐらいだから、物価の高いリマでは、水に対する出費は大変なものであるはずで、わがオティボ家でも、私に許された貴重な水の使用量は、朝夕に洗面器1杯だけであった。顔と手を同時に洗い、それで足まで洗わなければならなかったのである。 バリヤーダの貧困は、言うまでもなく犯罪とストレートに結びつく場合が多い。地方から来た人情に厚い人々の集まりではあるが、長い間の都市浮浪生活が続くと、多くのバリヤーダで、貧困を原因とする犯罪者を出していることは事実であり、特に、先端部分をリマの中心街に食いこませているバリヤーダでは、一部が犯罪都市化していることも否定出来ない。貧困はそれ自体がすでに犯罪的であるという例を、私は合衆国の都市スラムで体験しているが、リマでも市街地のバリヤーダでその観を強くした。 しかし、それでも大多数の住民は依然として素朴な良さを失ってはいないし、生活の安易な道だけを選択しているわけではない、と私には思われる。真面目に精一杯生きることで、明日への可能性をつかもうと努力しているオティボ夫妻、あるいは、ペルー第一の思想家と言われるカルロス・マリアテギの名を自分たちのクラブの名称として、社会変革によるバリヤーダ解放の夢を育てつつある青年たちのグループなどを見ていると、いかにも健康なエスペランサ(希望)が、人々の胸に宿っているのに心をうたれる。騒々しいニヒリズムなどは、彼らに一蹴されてしまいそうだ。 エスペランサという語の快い響きは、彼らの表情をいつでも思い出させてくれるだろう。 |
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