嘉陽区の位置

嘉陽区について

No百-名-148
資料名(よみ)かようくについて
概要面積5.88k㎡ 人口88人 世帯数48世帯(2021年6月30日現在)
嘉陽は、方言でハヨウと呼ばれます。集落は、嘉陽川とナコーガキ川がウッカ僑で合流する海岸寄りの砂地に形成され、碁盤目状の形態をなしています。集落と海岸線との間を国道331号線が通っています。
大分類名護やんばる大百科
詳細集落の北をナコーガキ川が東から西に流れ、ウッカ橋で嘉陽川と合流し、太平洋に注ぎ出ます。集落の背後にあるウプウック(小字嘉陽原)は、かつて旧久志村随一の肥沃な水田地帯として知られました。集落東方の海上には、砂岩からなる嘉陽のキョウと呼ばれる岩礁があり、ここは、ニライ・カナイの神が足をおろす聖地といわれています。
砂地に立地する現集落には、沖縄貝塚時代後期からグスク時代の遺跡(嘉陽遺跡)が分布しています。嘉陽グスク(上グスク)の西にはグスク時代中期~近世にかけての嘉陽原遺跡がある。昭和39年、東京オリンピックの時、聖火が宿泊し、その記念碑が建てられています。また、これを記念して久志マラソンが始められ、今日に至っています。集落発祥の地とされるアジヌヤー(按司の家)は集落内東側にあって、その横には名護市の名木にもなっている立派なガジュマルがそびえ立っており、ウシデークや綱打ち(綱造り)の作業などはここで行われています。
集落北側にはウイグシク(上城)と呼ばれる小高い丘陵があり、集落を見下ろすように北西に向かって立つ神殿前の広場では、毎年旧暦の9月20日にパチカミヂナディ(二十日水撫で)という、集落の神事としては最大の祭りが執り行われています。

主な産業は農業です。
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