大和万歳資料 03文書

指定名称大和万歳資料
指定分類番号04-03-03
点数1
資料解説奈良県指定有形民俗文化財「大和万歳資料」48点のうち、幕末期の大和万歳の参勤についての通達書4通   
 うち、3通は伏見奉行所から庄太夫、萬太夫に宛てて出された達状(安政7年=1860、文久3年=1863、元治元年=1864)で、京都御所への参入に際して持参したといわれます。
 また、1通は、特定はできないものの、有力寺院からの通達で、橘隼人にあてて出されたもの(安政7年=1860)です。
 大和万歳の禁裏や有力寺院等での活動を裏付ける幕末期の資料です。
資料説明詳細 
参考文献図録『万歳 まことに めでとう そうらいける』大阪人権博物館 2007年9月。
指定文化財総説 万歳とは、平安時代には存在したといわれる千秋万歳の末流と考えられている祝福芸、門付芸の一種で、大和における万歳の記録は中世以降多く現れるようになります。
 近世には、特色をもったいくつかの系統の万歳が各地で行われるようになりますが、広瀬郡、平群郡、式下郡などから訪れる「大和万歳」もよく知られていました。大正年間までは、正月を中心に、農閑期に京都御所をはじめ、奈良、京都等の畿内各所を巡っていました。太夫役と才蔵役の2名が一組となり、烏帽子、素襖の装束で家々の門口や座敷で演じました。太夫は扇を持って祝言を唱え、才藏が小鼓を打ちながら合の手を入れます。正式に演じるときは「柱立」を初番として「田植舞」「南蛮胡椒」「戎舞」「月舞」と次々演じられます。
 本資料は、昭和56年(1981年)4月、最後の伝承者の御子息(故人)より民俗博物館に寄贈を受けたもので、幾度かの中断を経ながらも、戦前まで実際に使用されていたものです。
 大和万歳は、昭和30年4月、奈良県の無形文化財の指定を受けていますが、昭和40年代頃に入ると、伝承者も皆無となったようで、昭和52年、奈良県文化財保存顕彰規定が文化財保護条例となった際には、後継者がいないとして指定替え、更新が行われませんでした。
 本資料群は、本資料は、昭和56年(1981年)4月、最後の伝承者の御子息(故人)より寄贈を受けたものです。絶えてしまった大和万歳の存在とその活動を今に伝える貴重な遺品です。

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