教科書「帝国読本 巻之八」

ID1476
機関記号9900175-001
資料名(よみがな)キョウカショ「テイコクドクホnトクホン マキノハチ」
型式・様式和装本(袋綴冊子装)
材質
寸法(高さ、縦)cm22.50
寸法(幅、横)cm14.80
資料解説 「読本(とくほん)」とは、旧制の小学校で使われた国語科用の教科書。
 明治19年(1886)5月10日、文部省は、教科用図書検定条例を公布(省令)、教科書の採択を各府県で行うことや、一度採用された教科書は4年間変えないこと、教科書を最低学年から使用することなどが決められ、小・中・師範各学校教科書が検定制となりました。「帝国読本」(巻1~8)は、明治20年代後半に刊行された検定教科書の中で広く使用された代表的な読本の一つです。
 しかし、教科書出版会社と府県の教科書審査委員との間で癒着が生まれ、明治35年(1902)贈収賄事件が発生(教科書疑獄事件)、文部省官吏や府県知事、師範学校校長、教諭、出版会社など教科書採択に関与した152名が検挙され、100名が一審で有罪となりました。この事件を契機として、政府は明治36年4月に小学校令を一部改正して、国が教科書を決める国定教科書制度が始まり、昭和20年(1945)まで続けられました。

資料説明詳細 『帝国読本』の書名は、「尊王愛国ノ志気ヲ、喚(ママ)発セシメント欲スルノ微意」(凡例、435頁)を表したものであり、その「微意」を反映して、「毎巻ノ首ニ掲ゲタル題目ハ、帝国臣民ノ最モ注意スベキ事項ニシテ、一層其感ヲ深カラシメンガ為、之ニ関スル唱歌ヲ載セ」(同前)ている。また、総合読本であるため、修身・文学・歴史・地理・理科・農業・工業・経済・公民などといった広範な領域に関連する教材を含んでいる。
 『帝国読本』の歴史的な評価について言えば、『日本教科書大系近代編』第5巻では、文章面において「巻一より巻四までには談話体が用いられるが、文章は当時としては、かなり進んでおり、自由な表現を用いたことにその特色がある。また、文語体の中にも、当時としては児童の生活と興味を重んじたとみられる教材がある」とされ、内容面において「編集者は(中略)歴史教材を多くとって日本国民の思想を形成しようと努めたことが、全体を通じてうかがわれる。また日本の事物や行事、物語、特に日本の童話教材をとり入れたことなど、この後の読本の内容に影響を与えている」と記されている。その他、サクラ読本と称される第四期国定国語読本『小学国語読本』(1933-38年に逐次刊行)の編集において、文部省図書監修官として中心的な役割を果たした井上赳は、「『帝国読本』が、当時の類書中嶄然抜出てゐたのは、巻二以下に現れる文章が、当時としてはかなり進んでゐた」からであると述べるとともに、「文語にも当時としては、かなり児童の生活と興味とを重んじた比較的優秀な教材が多い。編纂法の本質に於て何等進境を示さず、或意味に於て逆行的退歩を見せてゐるものがあるにもかゝはらず、この書が当時の優良書として挙げ得る点は、専ら各教材の質の向上にあるといへよう」と評価している。このように、教材において児童の生活や興味を重んじた点を歴史的に評価されている。

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