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旧臼井家住宅 主屋

ID1256
大分類ID7
資料名(よみがな)キュウウスイケジュウタク シュオク(オモヤ)
出版年月1棟
原所在地奈良県高市郡高取町上土佐39番地
指定区分等国指定重要文化財
時代・時期江戸中期 元禄頃(1688-1703頃)
構造・形式等切妻造、茅葺、二面庇付本瓦葺
寸法桁行17.594m、梁間6.974m
関連資料東北面便所附属
資料解説 もと高市郡高取町上土佐にあった民家です。上土佐(旧土佐町)は、旧植村藩の城下町として発達、臼井家は高取城の大手へ通じる道の北側に屋敷を構えていました。屋号を「伊勢屋」と称し、藩の公用伝馬の役を務めるかたわら、酒・醤油の販売を営み、大年寄も務めたと伝えられています。建築年代は18世紀前半頃と推定されています。1974年に大和民俗公園に移築、このとき当初の形に復原されました。
 外観や平面など、全体は農家風ながら、奥座敷の格子など町家的な要素も併せ持ち、半農、半商的な当時のこの町の性格がうかがえます。
 
資料説明詳細 高市郡高取町上土佐(旧土佐町)は、旧植村藩2万5千石、町奉行支配下にあった城下町で、臼井家は高取城の大手へ通じる道の北側に屋敷を構えていました。屋号を「伊勢屋」と称し、藩の公用伝馬の役を務めるかたわら、酒・醤油の販売を営み、大年寄も務めたと伝えられています。建築年代について明確な史料は残されていませんが、構造、技法などから18世紀前半と推定されています。1974年に大和民俗公園に移築、このとき建築当初の形に復原されました。
 復原後の主屋は間口9間、奥行3間半、間取りは平入の正面入口向って右手に土間をとり、表角に商いの場所とした中二階付きのシモミセ(下店)を設け、その奥がカマヤ(釜屋)となっています。左手の居室部は農家風の整形四間取りを基調としつつ、床を備え表裏側に縁をもつ9畳の奥座敷を上手に付けた、変則的な間取りとなっています。ナンド(納戸)出入口は帳台構えで間仕切り、突止溝が多用されています。構造材は全体に木柄が細く、表側は上屋柱筋で間仕切る一方、背面側は上屋柱を抜き庇を部屋に取り込むなど、この時代の特徴を示しています。
 全体の外観や平面は農家風ながら、道沿いの奥座敷の表側の格子など立面に町家的な要素を併せ持つ民家は、奈良県にしばしばみられる形式で、臼井家住宅はその典型例としての価値があります。

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