三行書
| 資料名(ヨミ) | サンギョウショ |
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| 別名 | 筒井政憲関係資料 |
| 別名(ヨミ) | ツツイマサノリカンケイシリョウ |
| Title | |
| 中国語タイトル | |
| 韓国語タイトル | |
| オリジナル番号 | Fロ0055-087 |
| 作者・生産地 | |
| 素材・技法 | 紙本墨書 |
| サイズ(H) cm | 125.10 |
| サイズ(W) cm | 60.10 |
| サイズ | |
| 員数・形態 | |
| 製作年(時期)・伝来時期 | |
| 閲覧種別 | 要問い合わせ |
| 現所在種別 | 在庫 |
| 解説・読み下し | 「花卉春佳冶竹木夏粛森秋霄月照牖冬晨雪明岑」 筒井政憲(つつい まさのり、安永6・1778-安政6・1859)は江戸時代後期の旗本。目付、長崎奉行、江戸南町奉行、大目付を歴任した。長崎奉行の初在勤は、文化14・1817-文政元・1818。二在勤は、文政2・1819-文政3・1820。その後、江戸町奉行を20年務め、文政11年(1828)シーボルト事件の際には、江戸での裁きにあたっている。弘化2年(1845)以降、学問所御用として、老中阿部正弘から海防・経済・町政などに関する諮問をうける。嘉永6年(1853)ロシアのプチャーチンの長崎来航に際しては、長崎表御用(大目付格)として長崎に派遣され、翌年の下田での交渉にもあたっている。墓所は東京都新宿区の常円寺にあり、平成11年(1999)新宿区の史跡に指定されている。長崎奉行時代の官位は和泉守。ロシア使節応接の際は肥前守。号は鑾渓。 |