長崎市内小曽根地域地割図
| 書名(ヨミ) | ナガサキ シナイ*コゾネ チイキ チワリズ |
|---|---|
| 副書名 | 南山手居留地図 |
| 副書名(ヨミ) | ミナミヤマテ キョリュウチズ |
| 著者 | |
| 著者名(ヨミ) | |
| 出版社名 | |
| 出版年 | |
| 寸法 | (本紙)84.1×137.6cm (全体)110.9×146.8cm |
| ページ数 | 1 |
| 文庫 | 小曾根文庫 |
| 番号種別 | 県書 |
| オリジナル番号 | ス3 1-1 2 |
| 閲覧種別 | 要問い合わせ |
| 解説・読み下し | 著・不明。成・明治一〇年代。内・絵図は「東山手・南山手居留地図」の副題がついており、二軸からなる。安政六年通商条約が調印され「開港地には居留地及び借地を行い住宅・倉庫の建築を許す」と規定された。長崎では大浦、浪ノ平海岸地帯を埋め立て、後背丘陵地を開いて居留地に当てた。長崎港図に「外人居留地一〇万坪余、支那人居留地一万坪余、上・中・下三等の差あり」と記している。居留地は「長崎地所規則」で種々規定されていたが、明治三二年改正条約の実施によって治外法権が撤廃され、居留地も廃止されて外国人の内地雑居が許された。この絵図は東山手と南山手の地割図で、それぞれの地番が入れられている。128×144センチ、二軸、彩色。なお、この絵図を基に建物などを追加記入した明治二〇年代のものと思われる居留地図が二軸保存されている。(『長崎県の郷土史料』p.140) 1882~1883年(明治15~16) 安政の開港により、長崎に外国人居留地を新しく設けることになりました。1859年(安政6)から1863年(文久3)にかけて、梅香崎から大浦海岸を埋め立てて洋館や商社などが建設されました。 1882-1883 With the opening of the port in 1859, a new foreign settlement was established in Nagasaki. From 1859 to 1863, Western-style buildings and trading companies were built by reclaiming land along the Ōura coast from Umegasaki. 1882~1883年(明治15年~16年) 安政开港后,长崎新设立了外国人居住地。1859年(安政6年年)到1863年(文久3年),从梅香崎到大浦海岸填海造地,建造了洋楼和商社等。 1882년~1883년 1859년 개항에 따라 나가사키에 외국인 거류지를 새롭게 마련하게 되었습니다. 1859년부터 1863년에 걸쳐 우메가사키에서 오우라 해안을 매립하여 양관이나 상사 등이 건설되었습니다. |
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