二代歌川広重

作家名(ヨミ)にだいうたがわひろしげ
生年月日(西暦)1826
生年月日(和暦)文政9
没年月日(西暦)1869
没年月日(和暦)明治2

略歴・解説

初代歌川広重の門人。重宣の画号で弘化年間(1844−48)頃から作画活動を開始する。安政5年(1858)に広重が没すると、翌年その養女お辰の婿となって安藤家に入り、二代一立斎広重を襲名。多くの同門の中でも広重の遺言状に出てくるのは重宣のみで、相当に可愛がられていたようである。その後何らかの事情で離縁して安藤家を離れ、慶応元年(1865)喜斎立祥と改名した。初代広重の画風に倣った風景画や美人風俗画のほか、横浜絵も多く遺している。

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