(青墓の宿の梯寺)
作品番号 | AH-Kyo006 |
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作家 | 歌川国芳 |
版型 | 大判3枚続のうち左 |
那珂川町馬頭広重美術館 収蔵品データベース
作家名(ヨミ) | うたがわくによし |
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作家名(別名) | 一勇斎・採芳舎・朝桜楼など |
出身地 | 江戸 |
生年月日(西暦) | 1797 |
生年月日(和暦) | 寛政9 |
没年月日(西暦) | 1861 |
没年月日(和暦) | 文久1 |
略歴・解説 | 江戸日本橋生まれで、父は紺屋だったらしい。文化8年(1811)頃歌川豊国に入門すると伝える。文化10年(1813)頃刊行の「戯作者浮世絵師相撲見立番付」という資料に名前が見えることから、それ以前に作品があったと思われるが、現在確かめられる最上限作品は文化11年の合巻(江戸後期の、数冊を合綴して表紙をつけた形態の本)挿絵である。初期の頃は、師豊国との間に問題が生じたのか兄弟子国直宅に寄食していた話が伝わるなど、しばらく不遇な時代を過ごしたようだ。しかし『水滸伝』を題材とした文政(1818−1830)末期のシリーズ(「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」)で成功をおさめると、次々に作品を発表して一躍人気絵師となる。特に武者絵(歴史上の英雄、武将の故事・説話、文学上の武者が画題の浮世絵)の制作に力を注ぎ、当時の評判も高かった。また、洋風を導入した風景画や、面白可笑しい戯画においても才能を発揮し、数々の佳作を遺している。 |