跡見玉枝

人物名(ヨミ)アトミギョクシ
人物名(英語)ATOMI,Gyokushi

略歴・解説

江戸に生まれる。本名、勝子。幼少期に京都へ移住し、従妹の跡見花蹊から四条派の絵画を学ぶ。1870年に花蹊が家族と共に上京した後は、望月玉泉から絵画を、宮崎玉緒から和歌と、のちに玉枝の作品の重要なモチーフとなる「桜」に関する知識を学んだ。1878年、京都高等女学校の教師となり、写生画を教えながら絵画展に出品していたが、より絵画の道を極めるため、1886年に上京。日本美術協会展などで作品を発表し、受賞を重ねる。1897年、自宅のある神田に私塾「精華会」を開設。1904年、セントルイス万国博覧会に《雨中ノ菊花》を出品し、銅賞受賞。視察のため滞在したアメリカでは焼絵を学び、ボストン美術館では個展を開催した。帰国後は多くの門下生を育てる一方で、内親王御用掛を務め、たびたび画帖を献上した。桜に魅了され、桜を描く名手として活動した。享年85歳。

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